|
事件の真実を様々な角度から切り込むジャーナリスト草薙厚子が、オフタイムに綴る”のほほん”なブログ。
|
大人たちはなぜ、子どもの殺意に気ず かなかったか? ドキュメント・少年犯罪と発達障害 イースト・プレス 2010年11月1日 |
| >>>Amazonでの購入はこちら |
「いったい誰を幸せにする 捜査なのですか。」 検察との「50日間闘争」 光文社 2008年4月23日
「僕はパパを殺すことに決めた」 奈良エリート少年自宅放火事件の真実 講談社 2007年5月21日
追跡! 「佐世保小六女児 同級生殺害事件」 講談社 2005年11月
「子どもが壊れる家」 文春新書 2005年10月
「少年A 矯正2500日全記録」 文藝春秋 2004年4月
「少年A 矯正2500日全記録」 文藝春秋 2004年4月
「レイラの終わらない戦争 -報道されなかったイラクの女性たちの本音」 光文社 2003年5月
「完全版ペイオフ対策」 角川書店 2002年4月 |
昨日、「僕はパパを殺すことに決めたー奈良エリート少年放火事件の真実」(講談社)を巡る事件で、鑑定医の先生の上告棄却が決まりました。
今朝、新聞全紙を駅で買って目を通しました。
どの新聞も大きく紙面を割いて取り上げていました。
崎濱先生のコメントを読んで、私と全く同じであることを改めて実感しました。私と講談社は、強制捜査が始まった直後から、言論の自由を守るために、崎濱先生と協力し合うことを強く望んでいました。しかし、実際には、一審から最高裁まで、ついに一緒に闘うことができませんでした。何故か? それは、話し合いをする前から、崎濱先生の主任弁護人から私と講談社が一方的に敵視されていたからです。主任弁護人は、崎濱先生に会う前から、私の代理人弁護士に、「草薙さんには筆を折ってもらいます」と断言し、奈良地裁の法廷でも同じことを繰り返し言っていました。意図的に、私と崎濱先生を対立させました。まるで、ドラマ「運命の人」の外務省の事務官の弁護士(元検察官)と同じでした。
言論の自由を守るには、情報提供者と情報受領者が協力し合って権力と闘う必要があります。情報提供者を被害者、情報受領者を加害者と位置づけ、分断し対立させることは誤りです。崎濱先生の主任弁護人の責任は重いと思います。
今朝の新聞記事のうち、読売新聞の記事は事実関係を誤らせるような書き方になっていて、気になりました。
——自身は不起訴(嫌疑不十分)となったが、崎濱被告の公判に証人出廷すると、情報源を「崎濱先生です」と明言した。「取材源を守り抜く意志に欠け、公権力の介入を招いた責任は大きい」。出版元の講談社第三者委員会も報告書で、草薙さんや担当編集者について厳しく批判した。——
(2月16日読売新聞朝刊より)
これでは、私が法廷で証言した後に、講談社の第三者委員会が私の証言を批判しているように読めますが、実際は逆です。
2008年4月に、講談社の第三者委員会が、記者会見の場で、委員の方が「編集者から取材源は崎浜先生ですと聞いている」と取材源を明らかにしました。その時、読売新聞記者の方から「草薙さんは(取材源を)明らかにしたのですか?」の質問に対して、委員は「草薙さんは明らかにしていません」と答えたのです。これは、テレビやインターネットで放映されました。
それまでの私は、取材源を公言することは全く考えていませんでした。しかし、第三者委員会の会見によって取材源が明らかになってしまったため、取材源の秘匿の意味が無くなってしまったのです。
そして2009年1月19日。私は奈良地裁へ証人として出廷しました。この日の私の『取材源の秘匿を解除した理由』というタイトルのブログを読んでいただければ判りますが、弁護士と相談した結果、第三者委員会の記者会見で公になり、マスコミでも報道されているので、取材源を言わざるを得なくなっていました。この時点で取材源を証言しないのは、もはや茶番です。
記事を書いた読売新聞の記者に事実を確認すると、早刷りの時には時系列表が掲載されており、第三者委員会が先行していることははっきりしているので誤解の余地はなかった、それがその後緊急ニュースが入り、時系列表が削除されてしまったとのことです。
たしかに、紙面が時々刻々と変わってしまうのはやむを得ませんが、そうであれば、記事の方も誤読されないよう書き直してほしかったです。この文章だけ読むと、私だけが情報源を守らず、そのことで第三者委員会に批判されたかのようです。これは全く事実と異なります。
この事件では、NHKが「草薙厚子が自白した」という誤報を流した直後に、崎濱先生が「自分が情報提供した」と自白をしています。検察がNHKと組んで崎濱先生を陥れたのです。この件で、私はNHKを訴え、勝訴的和解を得ましたが、NHKが検察と組んだことは、マスコミはどこも批判しませんし、問題にもしていません。
言論の自由の危機は、記者クラブに所属するマスコミ自身が引き寄せているのではないでしょうか。
崎濱先生の行為は正当であったと今でも信じています。上告が認められなかったことはたいへん残念です。
「僕パパ」の本で、強制捜査が入ってから五年が経とうとしております。崎濱先生にはその間、本当にご迷惑を掛けたと思っております。
この件に関して、弁護団の方針が、検察と検察OBにより仕組まれた謀略だということを問題とせず、私個人を攻撃対象に据え、崎濱先生を被害者と位置づける構図にしてしまい、言論の自由と国民の知る権利という観点から一緒に戦うことができなかったことがとても残念です。
私には、現在、TBSで放映されている山崎豊子氏の「運命の人」に登場する、検察や外務省の事務官の弁護人がこの事件と重なってしまいます。事件の時は、私も「情を通じて情報の授受があった」と疑われました。捜査検察は私に「第二の沖縄密約事件だ」とはしゃいでいました。何ともレベルの低い話です。
私や出版社の編集者たちは、「普通」と思われている子どもが、なぜ突然、人を殺してしまったのかという疑問を解明することで、将来、同様の事件が起こることを未然に防ぐことに役立てるために、「僕パパ」を出すことにしました。「僕パパ」の出版責任は全面的に私と出版社にあるのであって、他の人には責任はありません。
検察は、言論人としての私を葬るために、逃げも隠れもしない私に対して、突然、強制捜査を仕掛け、マスコミに大々的に報道させました。
ところが、期待に反して、私の取材は「情を通じて」いませんでしたし、金銭の授受もありませんでした。そのため、検察は私を追い詰め、葬ることができなくなりました。「このまま終わりにしたのでは、検察のメンツが丸潰れになる」ということで、崎濱先生を逮捕し、さらには起訴するという暴挙に出たのです。これこそ、権力の横暴です。
この国が言論の自由が尊重される民主主義国家であるならば、裁かれ責任追及されるべきは崎濱先生ではなく、この謀略を企んだ検察官や法務官僚らです。
名古屋高裁金沢支部で25年前の中学生殺害事件の再審を開始する決定があった。昨日は、どの報道番組も再審開始決定のニュースを分りやすく報道していた。一審は無罪判決だったが、二審では「内容の変遷や矛盾はささいな点でしか認められない」などとして逆転有罪となり、最高裁もこれを追認、確定したとのこと。その男性を冤罪にした警察官、検察官、裁判官は、今どのように思っているのか? 彼らは、贖罪の意識はあるのだろうか? ニュースを見る限り、一審の時の判事はコメントをしていたが、男性を有罪にした二審の判事のコメントはどこにも出てこない。無罪に役立つ不都合な証拠を隠して、誤った有罪判決を導かせた警察官、検察官は個人としても責任を負うような法改正が必要ではないか。
さらに、冤罪の防止策として検察や警察の手持ち証拠の全面開示を義務化すべきだ。取り調べの全面可視化と合わせ、早急に法改正が必要だ。
清水勉弁護士のブログも参考に
昨日、「陸山会」の小沢一郎氏の公判のニュースが、流れていた。石川知裕議員の証人尋問が終了したとのことだ。
石川議員の虚偽調書に署名してしまった理由として、「我が身かわいさと、検事から『ここまで書いても小沢の起訴はない』という言葉があった。自分の弱さと判断の甘さだった」と述べている。「自分の弱さと判断の甘さだった」という言葉に、胸が詰まった。
私は取調べを50日間受けたことがある。しかし、逮捕、起訴されなかった。調書に署名しなかったことが関係するかどうか分らないが、私は殆ど調書に署名しなかった。なぜなら、担当の検事が書いた供述調書に署名しろと言ってくる内容に、書くことを仕事にしている私には、違和感があったからだ。それには、伝えたはずの私の考えや思いは、一切入っていなかった。得意げに、調書を音読する担当検事は、奇妙な動物にしか見えなかった。
しかし、私の場合は、異例であり、石川議員の動向の方が、正常だと思う。検事は、巧みな嘘を準備して、取調室に入ってくる。被疑者は、そこで萎縮してしまうし、信頼している人の「起訴はない」などと言われれば、信用してしまうのだ。検事が供述調書を音読して、すぐに「はい、これに署名してください」と言われると、平常心は保つことは出来ず、署名をしてしまう。しかも、長い時間、拘束されていることもあり、早く終わりたいという気持ちが大半を占めてくるのだ。
裁判長からは「事実と違うことに署名すれば、秘書として仕えた方に不利になるという認識はなかったのか」という質問があったとのことだが、裁判長は、取調室の様子を考えて欲しい。いかに、取調室で被疑者は孤独なのか。何も資料もなく、丸腰で、ただ、責め立てられ、挙げ句の果てに、署名しろと迫る。いくら、自分がシロだとしても、その時の心理状態は、正常には保つことはなかなか難しい。
検察による有罪率は99.9%と言われる中、検察と裁判所のもたれ合いがある。検察の卑劣な捜査手法が、公になったのはここ1年である。今までのように、検察・裁判所一体で、冤罪なのに有罪判決が出されているとすれば、裁かれる国民はたまらない。
「陸山会」事件で小沢一郎氏の元秘書3人が有罪となった。多くの国民は、この判決に疑問を持ったのではないだろうか。証拠ではなく、明らかに心証で有罪にしてしまうということに。判決理由(要旨)を読むと、「…書いたとみるのが自然で合理的だ」「工作とみるのが自然だ」「…と考えるのが自然だ」とか、「強く推認される」「合理的に推認できる」など、推測の文言が目立つ。
この事件には、蜂須賀三紀雄検事が元秘書の池田氏を取調べたということで、注目していた。検面調書の多くは、蜂須賀検事も含め検察からの脅しや利益誘導があったため証拠採用されなかったからだ。
先日の大阪地検FD改ざん事件の公判では、虚偽調書は日常茶飯事ということを検事が述べていた。日本の刑事司法裁判における有罪率99.9%という驚異的な数字は、起訴する検察と裁判所の馴れ合いによって成り立っている。判事や検事、弁護士は司法試験に合格し、長期間の司法修習での同族意識がうまれるらしいが、それが検察と裁判所の馴れ合いに繋がるのかもしれない。検察から裁判所などへの人事交流も頻繁に行われている。また、有罪にすることが、判事の成績にも関わってくるのか。
検察の証拠改ざんなど不祥事以降、裁判所が検面調書を鵜呑みにせず、調書の証拠不採用で「検察の暴走」に歯止めがかかってきたように思っていた。日頃、検察からのリーク情報を記事にしている大手マスコミの司法記者さんたちもそう思ってきていたようである。
しかし、長年の司法の癒着の慣例はなかなか崩れないようだ。推測での有罪判決は危険ではないだろうか。国民は不安になったに違いない。
9月13日の朝日新聞朝刊社会面には “虚偽調書「よくある」”という見出しが載った。大阪地検特捜部のFD改ざん隠蔽事件の法廷で、虚偽調書作成の常態化が明らかになったのだ。証拠隠滅罪で実刑が確定し服役中の前田受刑者から改ざんを打ち明けられた同僚の国井検事が女性検事に送ったメールの内容である。
検察VS ヤメ検 裁判。ヤメ検と言っても、特捜部長と副部長が逮捕され、職を失ったという元法務官僚と現法務官僚との前代未聞の裁判だ。虚偽調書は普通のことで日常茶飯事だという検察に対して、国民は検察をもう信頼するはずがないだろう。虚偽の調書を事件の度に巻いていたら、検察が事件をコントロールし、日本に冤罪が蔓延る社会ということになる。“なる”というより、なっているというのだ。
昨日、強制捜索から4年目をむかえた。4年経っても、嫌悪の情を抱いてしまう。私の本の出版を巡っての捜査も検事から嘘偽り、暴言のオンパレードの取調べだったが、他のどの事件も同様のようだ。検察の常態化した虚偽調書作成を知っていて、検察を有利に導く検察からの情報をそのまま取材もせずに報道する機関があるが、このようなことが続いていたとしたら国民は報道に対しても信頼しなくなるだろう。
今朝、モーニングバード(テレビ朝日)という番組を観ていたら、改革派官僚の古賀茂明氏が出演されていた。古賀氏の話から、日本は、検察官僚もふくめ、官僚社会で、官僚が自らコントロールしていると思っていることが推察できる。それは、国民にとっては不幸である。新しい政権に是非、期待したい。
野田内閣が誕生して1週間が経ちました。実は野田首相には、格別な思い入れがあります。野田衆議院議員(当時は日本新党)が誕生する時、選挙運動を手伝っていたからです。
選挙運動最終日には、野田氏は高く聳える幾つもの団地の方々に向かって、涙を流しながら演説していたのを思い出します。
野田氏は「和」の人です。とても人間関係を大切にする方です。震災後、緊急事態にある日本の政治をまとめあげ、国民目線での政策を推進し、日本に再び活力を取り戻してくれることを期待しています。
またもや、7月11日の日刊ゲンダイに蜂須賀三紀雄検事のことが書かれていた。
「裁判長も呆れた!法廷に出てきた特捜の問題検事たち」という記事だ。
『「陸山会裁判」では検事たちのデタラメが次々と暴露された。』とある。蜂須賀検事の部分をピックアッピしてご紹介しよう。他の部分を知りたい方は、
日刊ゲンダイのネットをご覧下さい。
『問題は、石川を担当した田代、吉田の2人の検事だけじゃない。他の検事も似たり寄ったりだ。大久保隆規元秘書を取り調べた元大阪地検特捜部のデッチ上げ検事・前田恒彦受刑者は質問をせずに勝手に調書を書き出し、「いま作家の時間」「司馬遼太郎みたい」とブツブツ言っていたというから狂っている。池田 光智元秘書を取り調べた蜂須賀三紀雄、 花崎政之の両検事は、そろって過去に自白強要などで裁判所から調書を却下されている札付き。特捜検事は「最強」でも何でもなく、問題児の集まりだったのだ。 元東京地検検事で名城大教授の郷原信郎氏は、こうした特捜部の体質を「閉鎖的で説明責任も果たさず、ガバナンス(統治)機能もない。『裸の王様』」と断じていた。
暴力団や粗暴犯相手なら、脅し、スカシの暴力的取り調べが許されたかもしれない。小沢事件は、それと同じ最低レベルの検事の捜査力で、どんどん事件がつくられ、大マスコミは操られてきたのである。裁判所が唖然ボー然として調書を大量却下したのも当然なのだ。』(日刊ゲンダイ)
検事の捜査を知らない方は、大げさに書かれていると思うかもしれないが、取調べを受けた者からすれば、まさにこの通りと思ってしまうのである。検察に捜査権を持たせる事は、猫に小判であり、豚に真珠であろう。
大阪地検特捜部の調書改竄など不祥事を受け、最高検は検察官の違法行為をチェックする監察指導部の新設をを発表している。各地検の特捜部は存続させ、国税局や証券取引等関監視委員会などとの連携をを強めた経済事件への対応を強化させる。一方で独自捜査部門は縮小するといった、特捜部の政界汚職など独自捜査の縮小を打ち出した。最高検は「検察内部に独自捜査優先主義がはびこる。それが無理な捜査につながった」説明している。以前に検討するとした起訴権分離の話しはどこに行ってしまったのか? 笠間治雄検事総長は「検察の暴走に繋がる、一体化している捜査と起訴の権限の分離を検討している」と言ったではないか。検察の一体化した権限は、韓国と日本国くらいだけのようだ。
草薙厚子の取調べから考えてみると、身内の監察制度を設けるだけで、検察改革と言えるのか疑問だ。まず、長時間の身柄拘束の取調べだ。いくら「任意の取調べですから」と検事から言われても、「出頭しなければ逮捕する」、黙っていると「言わなければ、帰れませんよ。時間は幾らでもある」などと脅されれば、人質になった気分になり、検事からの罠にはまってしまうだろう。
さらに、日本の場合、取調の弁護士の立ち会いは出来ない。それは、その密室で、「悪」である参考人や被疑者が「正義」の検事から過酷な取調を行うという最初から取調べる側と取調べられる側の差別意識が生まれる事になる。検事の革張りの椅子と被疑者のパイプ椅子からもそれが伺える。その差別を取調べれる側に植え付け、検察は脅して、嘘をついて、暴言を吐いて、被疑者や参考人を上手に起訴へと持ち込む事ができる。また、起訴されてからも、検察に都合の悪い証拠は開示をしない。
草薙の取調べの時は、ブログのコピーのみしか捜査資料として持っていなかったことには驚いた。出版や編集の仕組みも著者と出版社の関係も全く知らない。捜査をする前に勉強もしていない。蜂須賀三紀雄検事にそのことを問うと、「急に捜査に加えられた」とかという言い訳をしていたが、筋書き優先の捜査ということがここでも分る。
今日、的を得た社説が愛媛新聞に載っていたので紹介する。この記事は、草薙厚子を取調べたそして、元秘書の池田氏を取調べた蜂須賀三紀雄検事のことを書いている。
「問われているのは筋書き優先の捜査や供述調書偏重の取り調べを生む弊習だ。客観的な証拠と証言の積み重ねの先に立件があるという基本に徹する仕組みが求められる。裁判所も特捜に不信感を示し始めている。先ごろ、民主党の小沢一郎元代表の資金管理団体の土地購入をめぐる事件の公判で、東京地裁が元秘書らの供述調書の相当数を採用しない決定を出した。
決定は検察側に硬軟両面の誘導があったと指弾した。関与を認めた元秘書の供述を維持させるために利益誘導まがいの話を持ち出し、目の前でメモを破り捨てて威迫するなど、時代錯誤も甚だしい。・・・・・・」
まさに、裁判所ももはや検察の取調べに批判的だ。検察改革が成功するかどうかは、検事一人一人の人間的な資質なのかもしれないと思う。
酒井邦彦氏は、大阪地検特捜部の証拠改ざん・隠ぺい事件に伴う人事異動で、2010年10月22日付で名古屋地検検事正に就任した。この方こそ、漏洩事件の時の奈良地検のトップであった、酒井邦彦検事正だ。この方が、大阪地検特捜部の隠ぺい事件をうけて「耳を疑うようなショックを受けた。検察に対する国民の信頼は地に落ちた。失われた信頼の大きさを考えれば一朝一夕には回復できない。一つ一つの事件を誠実に処理していき、少しずつ信頼を回復していきたい」などと発言していたという事を知って、開いた口がふさがらない。奈良での漏洩事件について、奈良地検と大阪地検特捜部は、合同でしていた。しかも、草薙厚子は、大阪地検特捜部のエースと言われている蜂須賀三紀雄検事に取調べられている。何度も書いているように、この事件は、捏造事件と言える。以前勤務していた法務省の同僚から酒井氏の性格を聞いていたので、奈良地検の検事正が酒井氏だと知った時、驚いたのを思いだす。そのような温和な性格な人でも、検察組織の中に入るとだんだんと組織に染まり、暴走を止める事ができなく、捏造した事件を創りだし、捏造した調書を巻いたりするということだ。そして、国民には明らかにされないで、検事らが出世していくという構造になっている。たまたま、大阪地検特捜部の隠蔽事件は公になってしまったけれど、これは氷山の一角だということを誰もが忘れてはならないだろう。こんな組織が必要なのだろうか?もちろん、酒井邦彦氏は必要という認識を示しているようだ。